公園散歩

今年、撮影部隊はチョウたちの追認に明け暮れてきました。私は執筆に追われ写真を見るばかりでしたが、カルガモの子育ての画像が多く、昔よりも増えているのか・・・ または、河川敷などより安全な公園の水辺を憶えたのか・・・
今年、撮影部隊はチョウたちの追認に明け暮れてきました。私は執筆に追われ写真を見るばかりでしたが、カルガモの子育ての画像が多く、昔よりも増えているのか・・・ または、河川敷などより安全な公園の水辺を憶えたのか・・・

 今夏は、白内障がどんどん悪化したので、数ヵ所の公園以外皆と歩けませんでした。術後1か月の静養期間が過ぎ、秋になってそろそろ出歩けるようになるかなあと思っています。

 右目の手術からちょうど1か月、気楽な手術とは思っていませんでしたが、日帰り手術なので、家でくらせることは助かりました。

 本来、水晶体には厚くなったり薄くなったりしてピントを調節する力があります。加齢によって調節力が衰えて老眼になっても、やはりピント調節などをしているので、それが調整不能のレンズに置き換わるのですから、これまで脳が憶えていた見え方とはかなり違うのでしょう。

 目がクリアになったことと、今まで通り使えることとは違います。絵描きのように、手元の紙と対象物を目で追って描くという、目の使いかたをする仕事の場合は、目の前を見て遠くを見て、斜めに見てなど案外いろいろ視線を動かすので、この動きに脳が馴染みにくいようです。

 その内慣れてくれると思いますが、昨日の大失態は、何のことはないのですが、パソコンの脇のテーブルに便箋を置いて体を斜めにしたまま、手紙を1枚書いたことで、いきなり大頭痛に襲われました。これまでいろいろ実験してきましたが、この反応には驚きました。便箋を斜めにして斜めに文字を書く事で、こんな事が起きるとは思いもしませんでしたが、目を休めながらいろいろ考えれば、平行が見にくかったり上下に目を動かすと、上と下では平行が狂うことなどいろいろと思い出し、斜めに置いた便箋の斜めの線に合わせて文字を斜めに書くことで、脳を無用に疲労させたのだと思い至りました。

 

 「目を使う仕事だから疲れる」とよくお人におっしゃられますが、だれかの運転で、どこかにドライブするという単なるお楽しみでも、目が疲れるのは一緒だと思います。目を開けていれば何かを見つめて、立体物を平面に置き換えて物として脳が理解しているのですから・・・ 

 そのようなわけで、立体物を平面に置き換えているテレビなどは見やすいのでしょう。しかし、ニュース番組の背景の模様が無意味に動いたり、天気予報の雨を表現する傘が動いたりするのは、目を無用に疲れさせると思いますが・・・

 かなり以前からこれは見えていなかったことが、この1・2週間で解りました。それと、人のお顔のしわ・・・。これは、見えなくても良いなあ・・・